2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

考え抜く必要に迫られている。自分を把握する必要にも。自分も例外でなく日本人としてのアーキタイプに則っているとするなら、今ここ主義は染み着いたものだろう。しかし、考え始めるベクトルは、もっと先を見つめようとしている。同時に今ここ主義で思考す…

ところで、せんと君は、ゆるキャラに分類されるのだろうか? 微妙にカテゴリーが違うと感じているのは、僕だけだろうか。 globalizationの本当のところは、localの存在とその総体の多様性を保証し、維持するようなもののはずだ。

長男の風邪をもらったらしい。今日はすこぶる調子が悪い。薬のせいでしじゅう眠い。特に今日は腹の具合も悪い。これで痩せられたらいいけど。それにしても、キツい。

Nと語った。判断や意思、行動の基点のようなものに対する、これまでの覚束なさを埋めることへの渇望があった。あいつですらそうだった。そういう時代を生きてきたことを実感した。今彼がたどり着いたのは、我々の生存というキーワード。我々とは人間と言う種…

啓示を待つと言う行為は、待つ側にある程度の充填が前提となる。満たさないまま待ち続けても、訪れない。求めて訪れるのが啓示なら、求めるもので満たされるのが理想。

今日、千葉の義理の兄を訪ねて、夕方の飛行機で神戸に戻った。 夕暮れ、街に明りが灯り始める時間に、西へと飛んでいた。 右側の窓際だったので、きっと南アルプスの辺りだと思う峰が、白く連なって見えた。 街の広がり、道路の線形、それが光で浮かび上がっ…

公共の場で、他の人の所作や存在が受け容れ難く感じられる時、自分の好ましくない状態を知る。

「その人ではない人間が「同じ言明」を語っても真としては通用しないような言葉は、その人ともに「死ぬ」。「自分がその言葉を発しなければ、他に言ってくれる人がいない言葉」だけが真に発信するに値する言葉であるということを昨日ここに書いた。それは言…

最後の

僕にとって最後の里づくりが、今から1時間前に終わった。最後まで、自分の役割を問い続けて。

桜も葉の緑が覗くようになった。ウグイスもいつの間にか然るべき場所に移っていったのだろう。先週の日曜、突然届いた旧友からのメール。弱々しく余所よそしく別人のようだった。今でも、本当にあいつからなのか、確かなものが得られていない。あいつのアド…

エコの文脈で扱われるもの

通勤電車の車窓から見える風景。建物が敷き詰められた街。3階建くらいの高さの建物の最頂部に菜の花の黄色が茶髪のオバQの頭みたいに見えた。陸屋根の住宅のようだった。屋上緑化しているのかもしれない。この光景をエコだとか、排出CO2削減とかの文脈だけで…

2010年4月3日 朝日新聞 朝刊23面。「私の視点」に「ハート・ロッカー 混沌と不毛の米社会映す」と題して」ニューヨーク在住のジャーナリスト、青木冨貴子さんが書いている。「ハート・ロッカー」は今回のアカデミー賞6部門に輝いた、キャスリン・ビグロー…