「場」

 「場」については、よく「場」の読めないヤツ、とか言うので、今更という感じもするけれど。このことに改めて気づいたのは、いかに効率よく議論をするかについて考えていた時のこと。そしてもう一つは、雨の日の通勤途中のこと。
 雨の日は、朝の通勤ラッシュがたいそう億劫になる。だって、びしょ濡れになって、おまけに濡れた傘まで抱えて満員電車の中に乗り込むことを想像してみてほしい。その気持ちを何とかやり過ごして駅の改札に分け入って行く。やがて階段。眼下に電車が滑り込んで来る。1本でも早く乗れれば、後が楽だと思う。只でさえ遅れ気味のJR。遅れることが日常の通勤時間帯だし。気持ちが急いて来る。その時だ。濡れた傘の先端を、後ろに突き出したまま歩いている人がいる。危ないし。こうした人に出くわすと、まず自分と傘を含む空間の認識が無いなと思う。つまり自分が握る傘で、自分が延長していることがまるでわかっていない。自分の挙動(この時は歩くという動作ね)に合わせて、傘も揺れるし、止まれば尖った先端もこちらを向いたまま停止する。このことがにんしき出来ていない。これは別に傘に限った話しではない。自分が背負ったザックだったり、肩に掛けたバッグだったりしても同じこと。
 で、次いでに、通勤時間帯特有の心理状態を誰しも抱えた時空間=場だということも、理解していないな、と思うわけだ。直ぐに気づく事は、これが理解できるかどうかは、状況のメタ認知ができているかどうかによるわけで、もう当事者以外の誰でもない場合は、求めてもだめだろう。先日、あるお年寄りが言ったけれど、ならば分かるようにしないあなたにも原因があって、状況の認識の点で画一的と言えるだろうと。それはその通りなんだけど、どうしたら分かってもらえるんだろうね。まったく。