「生命循環都市へ」と題する講義(書きかけ)

神戸大学の重村先生の退官を前に、最終講義が開かれるというので、出席してきた。
当時の早稲田大吉阪研の大島調査に参加して、発見的方法に出合、以来、氏の探求の経緯と成果を、豊富な写真を交えて面白く愉快に、そして深く語られていた。最終講義というだけに、多くの現役学生が出席していて、彼らに向かって、最後までメッセージを伝えようとしていた。
中でも、興味深かったのが、彼の沖縄での仕事を通じて、「地域主義」のメンバーと親交があったということだ。地域主義と言えば、玉野井芳郎氏。
氏の研究室のサイトをのぞいても分かるように、持続的発展のための環境計画というテーマが掲げられている。僕は、90年代だったと思うが、四国の村で行われた調査を基にした、彼の定住の在り方への問題提議が、今でも印象に強く残っている。重村氏のバイタリティーは、僕の研究室時代にも強く感じる機会があったし、同じ時期に神戸に居た伴丈さん(重村研出身)からも、よく調査の事やその時の武勇伝等を聞いていたので、こちらの勝手ではあるけれども、一方的に身近な存在ではあった。氏が、象設計集団で成して来た成果からも充分伺い知れるように、環境や地域(社会、コミュニティ、文化・・・)を充分に読み込んで臨むアプローチは、とてもよく理解できる。講義の最後に、7つにまとめて後進にと伝えたメッセージの中に、次のような内容があった。建築や計画に携わる者への警告?との前置きの下、創造などとはおこがましく、歴史や環境等の文脈を発展的に継承して行くスタンスとアプローチが大切だと。そして、創造する技術より環境を読み取る力をこそ磨かねばならないとも語っていた。
久しぶりに、シンクロできる話を聞いた気がした。しかし、ふと考えると、氏以外にも、同じ考えを持つ人物を、僕はもう一人知っている。それは、恩師、齊木崇人だ。(呼捨てゴメンナサイ)
 講義を終えて、手元にメモは残らなかった。スライドが終止投影されていたため会場が暗かったこともあるが、自分にとって新しい概念や触発された内容はなかった、というのが正直なところ。これは決してガッカリした等ということではなく、講義は僕にとってとても有意義な内容だったことは間違いない。けれども、環境との関係性について、例えば下肥の話を例に、昭和30年代の日本にもしっかりと存在していた作法としてあったというトピックスは、ため池調査で得られた結論であるし、先日の関学木岡氏の講義にもあったように、風土という概念(フレームワーク)が環境との関係性を示すのだという観点からも、既に、社会の空気としては、到達している地点なのではないかと思えた。ただ、それでもその方向へ社会が大きく舵を切ったと断言できる状態ではないことはまた事実だし、そのことも、重村氏自身も講義の最中で触れていた気がする。
 感じたことのもう1点は、