おじさん温泉に想う

その人の愛すべき場面というのがある。
たぶん、その人毎に。
それを、尊重したい。
尊重されたい。
解放された状態。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2011/01/post-0a73.html
茂木さん達の、この状態。
まさしく、それだと思う。
こうした時を持つこと。
それが、肥やしや支えになる。
翻って、昨日の僕と隆太朗のささやかな行き当りばったりの旅。
少し、これに似ていた。
解放されるには、ささやかだけれど。

話し代わって。
隆太朗の男の子らしさを、
封じているかもしれない、と、ふと思った。
風呂場で、洗う洗わないの口論で、
いきなり背中を平手打ちされて、
説明や誠意の前に手を出したことに、
即座にやつの身体に平手打ちを返した。
涙を浮かべて何かを堪えていた。
何故そうしたかを説明した。
やつは少し、混乱していた。

子供達は、“普通”に育てる必要などない。
けれど、“素直”に育ってほしい。
いやらしく曲がった精神は持たせたくない。
変な抑圧も感じてほしくない。
そのことに、どれだけ誠実に向き合って取組んでいるか。
なるようになる。
けれど、自分の所作言動が、
彼らに何らか作用しているだろう。
素直な笑顔。素直な言葉。素直な感情。
やつらは、自分の鏡。
やつらが、素直に応じるために、
誠実に向き合う義務がある。
そう湯船につかりながら、想った。

タカシ