粘菌と私たちと

以前、あなたから、
僕は、太陽じゃなくて、月だ。
と、言われたことを思い出した。
自分でも、そうかもな、と、思ってる部分もあり、
今日のほぼ日で、糸井さんから、見直されていい気分、というわけじゃないけど。
月は編集的だ、と言ったら、飛躍しすぎだろうか。
発光源ではあるけれど、反射しているという点で。
その上で、自分の凹凸も、肌理も、ウサギも、杵も臼も、伝えるという点で。

話は変わるけど、
今日、お昼休みに、大勢の人ごみに混じって、スクランブルの信号を渡り、
川を橋で越えて、街路樹をくぐり、建築中の高層ビルの下を通っているとき、
時間のスケールを変えれば、僕らは、粘菌のようなもんだと、何故か腑に落ちた。
ある期間、湧いて、生えて、生きて、動いて、そして子孫を残せるものは残して、消えていく。
カラフルなストッキングを履いた女性が、正面から歩いてくるのを観たからだろうか?
歩きながらこのとき、梨木香歩さんと、同じ境地だった、かもしれない。なんて。
沼地のある森を抜けて。だっけ。
そういえば、発酵系の話でもあったなあ。