いつの間にか、受け取るだけになっている。だから心底楽しくない。

昨夜、Tさんと久しぶりに話した。

同じ歳の彼と話していると、自分の輪郭が浮かび上がってくる。

反面教師に思えるところもある。

年齢を無条件に諦めの理由にしているところ。

古い常識を無意識無批判に自分の価値観に取り込んだままのところ。

しかし、今の僕にはない類のバイタリティがあった。

やりたいことがある。だから今一番欲しいのは時間だという。

自分の経験に基づいて、共感し、意見し、提案する。

そこは、むしろ信頼して対話できるところ。

彼に向かって、その場の流れに乗って話をする自分の言葉を、自分が聞いていた。

聞いている彼の反応を見ている自分がいた。

そのことが、ここ最近の中では、とてもとても貴重に思えた。

自分が今、何を感じて、何を心に抱えているのか。それが垣間見えたからだ。

彼に向かって、というより自分にも語る言葉に、じわりと刺激を受けた。

そんな夜だった。

心に静かに力が蓄えられた。

 

僕が関心があるのは、自分だ。けれど、作用点は社会。今の社会に働きかけたい。変化させたい。それは、子供達のために。母達、高齢の弱者のために。理不尽を無くしたい。意味のない無駄な慣習は捨て、歴史は捨てない。大切なものは関係性の中で育む。

 

そうした想いが、沸々と沸き起こってきた。

そして、今日、減薬期間が終わり、服薬を終えた。1ヶ月後に効果検証して、良好であれば、およそ1年間の診療を終える。